かもめの英語ハッピーブログ

英語講師、翻訳者、元外資系航空会社客室乗務員のkamomeskyが、英語学習法、実践の記録、日々の気付きなどについて日本語と英語で書いています。

大坂なおみ選手と日本の均質性

久しぶりの更新になってしまいました。

生徒さんに教えて頂いた、大坂なおみさんに関するNew York Timesの記事”Playing tennis for Japan, and a multicultural future”(8/27)を読みました。大坂さんのご両親の出会いから、なおみさんの生い立ち、テニスを始めたきっかけなど、ワイドショーを見ない私には初めての情報ばかりで、興味深いものでした。

インターネット版は、タイトルが ”Naomi Osaka’s Breakthrough Game”  (8/23)となっていて、さらに長い記事でした。実は、何だか説明不足な印象の箇所がいくつかあったのですが、紙版では割愛されていたことがわかって納得。紙の新聞はやっぱりスペースの制約がありますね。

全米オープン後は大坂なおみさん関連の記事がうんと増えてしまい、検索しにくくなりました。この記事は、全米オープンでの快挙の前なので、大坂さんのことを取り上げてはいますが、筆者は日本が他の人種に対して開かれていないということをベースに記事を展開しています。外国の日本観が如実に表れています。

In playing under the flag of an island nation noted for its racial homogeneity, Osaka challenges assumptions about whether and under what circumstances a biracial person might be accepted as truly Japanese.

(人種的な均質性で知られる島国の旗の下でプレーすることで、大坂氏は2つの人種にまたがる場合に真の日本人として受け入れられるか、どうかまたどのような条件でなら受け入れられるのか、その想定に挑んでいる)

この均質性(homogeneity)については、日本に来ている外国人の英会話講師からも「とても気になる」と聞いたことがあります。あるカナダ人講師は「異様だ」と言っていました。非難というよりはショックを受けたようでした。

記事に戻ります。大坂なおみさんに期待される社会的な役割について、IMG(マネジメント会社)の担当エージェント、Stuart Duguid氏の言葉を紹介しています。

“I also hope that she’s changed cultural perceptions of multiracial people in Japan. I hope she’s opened the door for other people to follow, not just in tennis or sports, but for all of society. She can be an ambassador for change.”

(「彼女が日本の複数の人種にまたがる人々に対する文化的な認識を変えたと期待もしている。後に続く他の人々―テニスやスポーツ界のみならず、社会のすべての人々―のために扉を開いたと思いたい。彼女は変革のアンバサダーになれる」)

記事は、江戸時代の鎖国政策にまでさかのぼって日本の人種的な均質性(homogeneity)を指摘。そして、なおみさんのご両親が出会った根室について、次のように説明しています。

In a country with one of the least ethnically diverse populations in the world, Nemuro — on the eastern tip of Hokkaido, Japan’s northern island — is a bastion of homogeneity.

(世界でも極めて民族的な多様性に乏しい国民を持つ国にある根室―日本北部の島・北海道の東端に位置する―は、均質性の牙城である)

根室の人、気を悪くされませんか・・・。

そして「均質性の牙城」で、なおみさんのご両親となる2人の交際を知った父親(なおみさんの祖父)の当時の反応を次のように書いています。

Tamaki was already seeing someone — a foreigner who also happened to be black. Her father erupted in outrage, excoriating her for bringing disgrace on the family.

(環には既に付き合っている人がいた―外国人で、しかも黒人だった。彼女の父は怒りを爆発させ、一家の面汚しだと彼女を激しく非難した)

この excoriate という単語はかなり「きつい」単語です。辞書の語義は「~を激しく非難する、~の皮をはぐ、~の皮膚をすりむく、〈皮膚を〉ひりひりさせる」とあります。皮をすりむくヒリヒリ感を想像し、よほどの非難だと思いながら覚えました。

最後に、複数人種にまたがるアイデンティティーのおかげで世界中にファンを増やせることに大坂選手本人が気付いている、として記事は彼女の言葉を引用します。

“Maybe it’s because they can’t really pinpoint what I am,” she has said, “so it’s like anybody can cheer for me.”

(「たぶん、私が何者かということをピンポイントに言い当てられないからだと思う。だから、誰にでも応援してもらえる、みたいな」)

いいですねー、この軽やかさ。

人種的なこととか、日本の人種的閉鎖性を打破するアンバサダーだとか言わずに、1人のテニスプレーヤーとして普通に応援すればよいのでは・・・と思ってしまうのは私だけでしょうか(笑)。

本日もお読みくださりありがとうございます♪

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